2016.08.12

18番街 レトロな雰囲気はそのままに新しく生まれ変わりつつある街

  • 八重山
  • 読み物

古くて新しい18番街を歩いてみる

文=嘉手川 学

 

 石垣島には「18番街」と呼ばれる繁華街があった。あったと過去形になっているが実は「18番街」は今も残っている。ではナゼ過去形で書いたかというと、かつての「18番街」というと、怪しい雰囲気の店やいかがわしくてけしからん佇まいを見せる店が多く――もちろん常連客が通うちゃんとした健全な店もあったのだが、ほとんどの店の入口が一見さんお断りの雰囲気を醸し出していた。そのため、「18番街」を歩いているのはそこの地に詳しい地元の人か、あるいは誘蛾灯の蛾のように怪しげな雰囲気に誘われてふらつく観光客くらいの時代があったからである。

 「18番街」はあやぱにモールの西側にある昔からの飲み屋街で、かつて石垣島で有名な「十八番」という料亭がその名の由来になっている。多くの客が集まる「十八番」に倣って、その周辺にたくさんの料亭や割烹、スナックやバーなどが林立し、活気にあふれる場所になったことから、いつしかこの地が「18番街」と呼ばれるようになったのである。今でこそ石垣島の繁華街といえば美崎町が知られているが、美崎町ができる前までは飲み屋街といえば「18番街」が中心であった。

 美崎町が誕生したのは昭和41年3月。昭和38年頃まで石垣島の港は水深が浅く、大型船が接岸できなかったことから、新しく石垣港を作るために海を深く掘り下げていった。その時にそこから出た土砂で浅瀬の海を埋め立ててできたのが美崎町である。やがて新しい美崎町に、若い人を相手にするスナック、バー、居酒屋ができ賑やかになていくのに反比例して「18番街」は徐々に廃れていった。そして残ったのは人生の悲喜こもごもを知る昔のお姉さんたちが働くスナックやクラブ、小料理屋といった古い店や、いかがわしい店だけになり、やがて石垣島のディープゾーンと呼ばれるようになっていたのである。

 数年前に風営法の改正で「18番街」はシャッターの閉まった店や古ぼけた看板が虚しく残った店が増えたけど、この古ぼけた昭和の面影を残す雰囲気が逆にオシャレでレトロと若い人たちが注目するようになり、最近ではこの場所にお店を構える人も増えており、中でも石垣島近海で獲れた魚介類や島の旬の野菜、新鮮な食材、石垣牛などを使った居酒屋や創作料理の店、大衆的な酒場、海産物の店といった飲食店や料理屋が点在するようになり、新たなグルメスポットとして注目を集めているのである。

 また、「18番街」といえば、石垣島出身の作家・池上永一著の「風車祭(カジマヤー)」にも登場しており、実際に小説に登場した店のモデルとなった店もまだ残っているという。物語の重要の場所として出てくる「ビッチンヤマ御嶽」もあり、小説ファンがよく訪ねてくるという。ビッチンヤマ御嶽は豊作・豊漁を祈願する御嶽で、伝承によると海から浮いたり沈んだりしながら流れ着いた石があり、「神が宿る石」に違いないと海から引き上げて、村番所へ運ぶ途中、現在の御嶽の場所で根が生えて重くなり、動かすことができなくなり、石を囲み御嶽にしたといわれている。

 まだレトロな雰囲気の残る「18番街」で美味しい料理とお酒を楽しみながら、ビッチンヤマ御嶽を訪れるのもいいかもしれない。

 

18番街通り

  • ・御嶽(うたき)
  • 琉球の信仰における祭祀などを行う施設である。
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  • ・ビッチンヤマ御嶽
  •  豊作、豊漁を祈願する御嶽(うたき)伝承によると海から浮いたり沈んだりしながら流れてきた大きな石があり、「神の宿る石に違いない」
  • と人々が海から引き上げ、村番所へ運ぶ途中、現在の御嶽のある場所に差し掛かると根が生えたかのように重くなり、動かすことが出来なくなった。
  •  御嶽内のクワノハエノキは樹齢一五〇〜二〇〇年と言われている。沖縄出身の作家・池上永一の著作「風車祭(カジマヤー)」でとり上げられている。
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